待ち合わせの星に来ない

感性のリハビリ

never young beach『fam fam』

先日見た『緑色音楽』に彼らの曲が使われていて、そこから数日妙に耳に残ったのでアルバムを聴いてみた。

そしたらなんだよめちゃくちゃいいじゃんか。もっと早く知りたかったわ〜と嘆いていたら、「最近はシティポップがきてる」とか言って2年くらい前の飲み会で話題になっていたのを思い出した。翌朝早速YouTubeで聞いたんだけど、いかんせんそれが繁忙期の職場へ向かう満員電車の中だったのが悪かった。「とにかく仕事に行きたくない、海へ行きてえ」という気持ちが手に負えなくなってしまったため再生を止め、それきりになってしまったのだ。なんという勿体無いことを。

 

映画で使われてたのは1曲目の『Pink Jungle House』。低くて穏やかなボーカルと、優しくて温暖なメロディが心地よい。ちょうど今日は爽やかに晴れた過ごしやすい日で、メロディに感化されて私の歩く道も日差しで光りだす。私の感性は満員電車に殺されていただけだった。

 

そして8曲目『明るい未来』が際立って良い。この曲がこんなに良いって、みんなとっくに知ってたんでしょう。悔しい。愛って音になるんだな。

幸福って、今ハッピーなことじゃなくて、これから先ハッピーじゃない日がきても生きていけると思えることだと思うんですよ。その究極が幸せな死だと思っていて、いつか寿命が来て私が死ぬ時、大切な人に看取られながら、ああ色々あったけどいい人生だった、と思いたい。それとも私が後だったら、やっと再会できることを喜びたい。もちろん実際どうなるかは分からないけど、幸せな死を思い描けるようになってから、もう全然生きていける。

明るい未来の話し

例えば僕らが死んでしまっても

あっちでも仲良くやろう

いつまでも側にいてくれよ

この人となら死んでも明るい未来だとお互いが思っていること以上の幸福がある?

 

なのでその後に続く『お別れの歌』が辛すぎて受け入れられない。さっきまで「いつまでも側にいてくれよ」って歌ってたのになんで「お別れのときだよ」なんて言うの?ねえなんで?

このままだとあまりに辛いので、普段はやらない考察作業に入り、「お別れ」は心変わり等による決別ではなくて死なのだと解釈することで心の平穏を保った。

小松菜奈が存在しない傷をえぐってくる鬼MV。

 

ちなみに『Pink Jungle House』は劇中歌で、主題歌だった『なんかさ』は次のアルバムに収録されているもよう。そちらもそのうち聞きます。