待ち合わせの星に来ない

感性のリハビリ

山中瑶子『あみこ』

緑色音楽』を見て大下ヒロトを好きになったという話を書いて早々、彼が出ている映画があると知ったので早速行ってきた。夜のミニシアターに訪れる人間は思春期に燻った自意識が今も焦げついているはずなので、あみこのパンチがささる。主観。 

 

「こじらせ」という便利な言葉は誰が言い出したんだろう。あみこはそんな「思春期・自意識・こじらせ」のスリーワードを煮詰めたような女子高生で、現実のそういう女の子は大抵脳内で全てを作り込んだのちに行動を起こさず閉幕するのだけど、あみこはちゃんと爆発するから爽快であるし、私たちの思春期が救われる。あみこになれなかった私たちがあみこによって成仏していく。

罪作りアオミは本当にいい佇まいで、あんな言葉、自分と彼だけが特別だと思いこんでしまうのに十分すぎる。アオミくんも自分の中では虚無感とか倦怠感を抱えているんだろうけど、あみこのそれと違うのは満たされたいと思っていないところなんだよな。飢えていない。こちとら誰にも分かってもらえない自分を分かってもらいたくて、本当は何も持っていない自分を特別だと言ってもらいたくて、そういう運命的な人を欲して欲してこんなにぐちゃぐちゃになってるのに、アオミくんはズルい。来世はこういう男の子になってみたい。

 

自分の話をすると私は中学高校と女子校で、思春期も自意識もこじらせも、異性のいない環境下でのそれはもしかするとおままごとだったのかもしれない。全ての女子校に当てはまるのかは分からないけど、やはり異性の目がないことで、自分が自分でいることに割としがらみのない青春だったように思う。それはある意味健康的であるけれど、互いが恋愛対象になりうる視線の中で自分を作ったり持て余したりするのも自我の形成において必要だったんじゃないだろうか。もちろんそれは経験しなかった青春の過大評価かもしれないし、異性がいない青春というのもまた別ベクトルにこじれていくんだけれど。

 

言っちゃ悪いがこの予告編ではおもしろさがあまり伝わらないのでとにかく本編を見てほしい。BGMもこの尾行時のメロディーじゃなくて、エンドロールの曲でいいのに。あの曲良いなと思って、でも映画館出たら忘れてしまった。レディオヘッドでもサンボマスターでもなくて、なんだっけ。分かる人教えてください。

 

構成は全く違うけど、勝手に魂の会話だと思い込む悲劇といえば川上未映子の『わたくし率イン歯ー、または世界』が思い出される。そう思えば川上未映子のルックスはちょっとあみこっぽさがあるね。

 

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